小学生の代名詞とでもいうべき「宿題」
みなさんは、苦もなく宿題をできていたほうですか?
それとも、いつも親や先生に叱られながらやっていましたか?
はたまた、まったくやらずに切り抜けてきたタイプですか?
宿題に関しては、昔から研究対象になったりして論争になることも多いですが、最近は全校で宿題をなくした公立学校も出てきています。
そもそも宿題って、どんな目的で出されているのでしょうか。
どんな内容の宿題ならいいの?
実際の教育的効果は?
などなど考えていきたいと思います。
宿題の目的とは
宿題の目的・・まっさきに思い浮かぶのは「基礎学力の定着」や「学習習慣をつける」ため。
「親子間のコミュニケーションを促したり、家庭に子どもの学習状況を知ってもらうため」ということも、目的としては考えられます。
保育園のときと違い、学校での様子はなかなか分からないことも多いですが、宿題の内容や子どもの取り組む姿を見て子どもの学校での様子を垣間見ることができます。
ほかに目的として考えらるのは「自己管理能力を身につける」ため。
親からやりなさいと言われなくても宿題に取り組める子は、最初から自己管理能力がある子なのだと思いますが、そんな子どもたちのなかにも、先生に怒られるから、居残りさせられるからやる、という子もいますよね。
学習効果の限界
宿題にまつわる研究では、小学生に対して出される宿題の学習効果はほとんどないという結果もあります。
特に低学年の場合、宿題の量が増えると学習へのモチベーションが低くなり、学習効果が得られないばかりか、学びへの興味を失ってしまう可能性さえあるのです。
また、家庭環境によっても宿題への取り組み方が違います。分からないところを親がサポートしながら宿題に取り組めている家庭もあるかもしれませんが、落ち着いて机に向かう環境にさえない家庭もあります。
自分に合った学習スタイルというのも子どもによって異なります。
一部の子どもにとっては自主的に宿題に取り組み学びを深めることができるかもしれませんが、ほかの子どもにとっては宿題が負担となるだけで、取り組んでも「こなすだけ」で学習効果が低い場合もあります。
目的は達成されているか
学習の効果がほとんどないという研究結果もあるように、小学生では宿題で基礎学力の定着を図ろうというのは難しいようです。
また、宿題の量・内容がその子に合っていない場合や、宿題をやっていなくて休み時間や放課後にやるように言われた場合など、「自分にはできない、やらされた、遊ぶ時間が奪われた」と感じ、「勉強ぎらい」を生んでいる側面もあります。
勉強がきらいになってしまっては、元も子もありません。
親子間の宿題にまつわるコミュニケーションに至っては、
「宿題やりなさい」「まだやってないの」「宿題やらないと〇〇できないからね」
など、多くの家庭で「宿題はやらなければいけないもの」という前提で親が子どもに接していて、コミュニケーションという名の親子の対立の原因となっているのも事実です。
宿題はやらなければいけないから、先生や親にうるさく言われたくないから、ゲームをやりたいから、宿題を終わらせておこう。どんな理由でも自己管理できている子はいます。
一方で、宿題はやらなければいけないと思いつつ宿題をやらずに迎えた次の日の朝、「宿題やっていなくて怒られるのも嫌だから学校を休む」という子もいるのです。

どんな宿題ならいいのか
それぞれの子どもに合う宿題の内容や量であれば、良い習慣になったり進んで取り組み学習効果も高まるかもしれません。
ただ、個別に宿題を出すこともそれをチェックすることも、担任の先生にとっては負担になります。
先生が宿題をいちいち点検しなくても学力に特に影響はないとの研究もあるくらいなので、思い切って個別化する方法もあるのではないかと思います。
たとえば、
- レベルや内容を多様化したうえで数種類の中から子どもたち自身が選んで取り組む
- 料理や掃除など「お手伝い」をしてレポートにする
- その子の興味のある分野の本や図鑑から学んだことを書く
- テレビや新聞のニュース、SNSの話題から思ったこと
「何をやってもいいよ」とゼロの状態で手渡しても困ることがあるので、選択肢を用意した上で自由に選んでもらうという方法なら、自己決定の機会を増やすことができていいのではないでしょうか。
宿題がなくなるとゲームばっかりして困るという家庭もあるかもしれません。ゲームの時間を制限するためだけに宿題が存在するのなら、いっそのこと「お手伝い」を宿題にしちゃった方が親子関係も良好になるのではと個人的には思います。
「みんな一緒、同じことを同じペースで」から抜け出そう
私はこれまで放課後の子どもたちと関わる中で、子どもたちがどんなふうに宿題と向き合っているかを見てきました。
「宿題はやらなければいけないもの」
「嫌なことだけど逃げてはいけないもの」
「ゲームをやるために必須なもの」
こんなふうに感じている子ばかりでした。
問題が分からなくて苦しむ子、たくさん文字を書くことで疲れてしまう子。
簡単すぎたり、面倒だから解答を見ながら「こなす」子・・。
子どもたちが宿題に取り組む姿を見るたび、これはだれの何のためになっているんだろう、と疑問に感じずにはいられませんでした。
うちの長男は、小学校入学前はみずから覚えたての平仮名やカタカナを駆使して手紙を書いたり、面白がって見よう見まねで漢字を書いたりすることが好きでした。
それが、、小学校で出される宿題には一切興味を示さず、宿題用に使っているノートにも書きたがりません。
まさに「やらされる」と「やりたくなくなる」現象にハッとさせられました。
宿題をなくした公立学校
「子どもたちの自ら進んで学ぶ力を育てる」ために、ドリルや計算など一律に出す宿題を廃止した学校があります。岐阜県の岐阜市立岐阜小学校です。
児童と保護者が主体となって取り組む「家庭学習」に切り替えたところ、自分の興味関心を深めるような家庭学習をやってくる児童が出てきたり、担任の先生にも子どもたちと向き合う時間の余裕が出てきたり良い変化が見えてきたとのことです。
東京都の境南小学校(当時 宮崎倉太郎校長)も宿題を「禁止した」公立学校です。
毎日同じ宿題を出すことは「平等」とはいえない、と保護者にも宿題をなくした理由について丁寧に説明し全校で宿題をなくしました。もちろん夏休みも宿題はなかったそう。
宿題は担任裁量で取り組み方を変えることができます。でも、なぜ廃止するのか職員で話し合い全校で取り組むことに意義があり、校長先生のリーダーシップや「子どもの育ち」について対話してきたその過程がすばらしいなと思います。
私たち親子にとっては初めての小学校の夏休み。
家庭でできることは、宿題やりなさいと追い立てることではなく、子どもの好きなことに没頭させてあげることかなぁと思っています。
遠出はできなくても、普段やらないことをあえてやってみるだけでも夏の思い出になりますよね!

ここまで読んでくださりありがとうございました!
みなさんの地域の宿題についてもぜひ教えてくださいね^^
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