“What is Unschooling?“というタイトルで、アンスクーリングについて書かれた海外の記事の内容をピックアップして紹介します。
昔ながらの学校教育
以下の記事では、教育への代替手段としてのアンスクーリングについて説明しています。昔ながらの学校教育では、標準化されたカリキュラムを重視する一方で、子どもたちが自然に知識を探求する姿が見られないと批判しています。
It was no doubt noticed that, when given a choice, most children prefer not to do school work. Since, in a school, knowledge is defined as schoolwork, it is easy for educators to conclude that children don’t like to acquire knowledge. Thus schooling came to be a method of controlling children and forcing them to do whatever educators decided was beneficial for them.
学校での勉強をやりたいかやりたくないか聞かれたら、ほとんどの子どもたちが「やりたくない」と答える。これは誰もが当たり前のように抱いている「学校の勉強」に対する認識だと思います。
学校では「知識=学校の勉強」と定義されているため、教育者側は、「学校の勉強をやりたがらない子ども=知識を得るのが好きじゃない」と単純に決めつけてしまう。
そうやって学校教育は、子どもをコントロールし、教育者が「子どもにとって良い」と判断したことは何でもやらせるようになっていったと、著者は言っています。
アンスクーリングは“手法”ではない
Unschooling isn’t a method, it is a way of looking at children and at life. It is based on trust that parents and children will find the paths that work best for them – without depending on educational institutions, publishing companies, or experts to tell them what to do.
アンスクーリングは”手法”ではなく、子どもたちや人生をどのように捉えるのかという考え方のこと。教育機関や本、専門家に頼ることなく、親と子が「自分たちにとってベストと思える道を見つけるんだ」と、自分自身を信じるところから始まります。
著者の経験
Our son has never had an academic lesson, has never been told to read or to learn mathematics, science, or history. Nobody has told him about phonics. He has never taken a test or been asked to study or memorize anything. When people ask, “What do you do?” My answer is that we follow our interests – and our interests inevitably lead to science, literature, history, mathematics, music – all the things that have interested people before anybody thought of them as “subjects”.
著者の息子さんは、いわゆる「学校教育」というのを一度も経験したことがないそうです。
誰からも「読みなさい」「覚えなさい」「数学や科学、歴史を勉強しなさい」と言われたこともなければ、テストを受けたこともないそうです。
ではどうやって学んできたかというと、「自分たちの興味に従っただけ」。
その興味が「科学」「文学」「歴史」「数学」「音楽」という、人々が当たり前のように興味を抱いてきた物事へと自然とつながっていくのです。それが今では「教科」と呼ばれるようになっています。
自然な学び
昔ながらの教育を受けてきた私たちにとって、どうしても「学ぶこと=勉強すること」という固定概念があって、「学校に行かないと学べない」という考えに陥ってしまいそうになります。
でも、本来は勉強することだけが学ぶための唯一の方法ではないし、むしろ、勉強以外のほうが幅広く自然な学びが多いはず。それは就学前の子どもたちの姿を見るとよく分かります。
It is natural for children to read, write, play with numbers, learn about society, find out about the past, think, wonder and do all those things that society so unsuccessfully attempts to force upon them in the context of schooling.
読んだり書いたり、数字で遊んだり、社会について学んだり、過去について知ろうとしたり、考えたり、不思議に思ったりといった、学校教育として社会が強制しようとしているものすべてが、子どもにとっては本当は自然にできること。
庭の植物たちのように
子どもたちは日々、精一杯生きて、多くの知識を得ています。
It is a little like watching a garden grow. No matter how closely we examine the garden, it is difficult to verify that anything is happening at that particular moment. But as the season progresses, we can see that much has happened, quietly and naturally. Children pursue life, and in doing so, pursue knowledge. They need adults to trust in the inevitability of this very natural process, and to offer what assistance they can.
子どもたちが成長する様子は、まるで家庭菜園の植物たちのようだと著者はいいます。
どれだけしっかりと観察してみても、その瞬間には何の成長も見られない。でも日が経つと「もうこんなに成長してる!」って思うんですよね。
子どもたちも同じように、日々の生活を送りながら、静かに、そして自然に知識を獲得していくのです。このごく自然かつ必然的なプロセスを信じ、できる限りのサポートをしてあげることが大人の重要な役割だといえます。
子どもたちの人生にとって重要なのは、「学校に行くこと」なのか、「学ぶこと」なのか…
今一度、既存の“教育システム”や“教育法”などから一歩離れて考えてみませんか?
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